牟田都子著『文にあたる』で校正者の仕事の奥深さを知る。

文にあたる 読書
読書
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

こんにちは!ハチコ(@hachiko8531)です。

突然ですが「次の写真の果物の名前を紙に自由に書いてください」と言われたら何と書きますか?

りんご リンゴ 林檎 apple

シンキングタイム…

3・2・1・ゼロ。

私ならこう書きます。

ひらがなでりんご

ひらがなで「りんご」

(私が漢字で「林檎」という字を何も見ないで書けないというのもあるけども、その話は置いといてw)

別にクイズじゃないですよ。

「りんご」も「林檎」も「リンゴ」も「apple」も「ringo」(?)もすべて正解です。

ひらがな「りんご」だと、全部の文字が丸くてかわいい。ひらがなの「りんご」だと甘みが強そうで、酸味はあまりなさそうなイメージ。

同じ意味の言葉でも、表記が違うと読み手の受け取り方が変わりますよね!

また、書き手の意図も違います。同じ意味でもいろいろな書き方があるのは、日本語のおもしろさでもある。

いきなり何の話をしているかと疑問に思われるかもしれませんが、今日は『文にあたる』(牟田都子著、亜紀書房)を読んだので感想を書いていこうと思う。

文にあたる 牟田都子

文にあたる 牟田都子 帯

『文にあたる』は校正者の方のエッセイです。(ビジネス本の類ではないと思う。)

文章を書く人、本を読む人、本が好きな人、言葉を大切にする人に読んでほしいなと思う本です。

スポンサーリンク

『文にあたる』の著者

『文にあたる』の著者は牟田 都子(むた さとこ)さんです。

この本に載っているプロフィールはこれ。

1977年、東京都生まれ。図書館員を経て出版社の校閲部に勤務し、2018年から個人で書籍・雑誌の校正を行う。

ところで、「校正者」という仕事を知っていますか?

校正者とは本書でこう記してあります。

本が出版される前にゲラ(校正刷り)と呼ばれる試し刷りを読み、「内容の誤りを正し、不足な点を補ったりする」(『大辞林』)のがわたしの仕事です。(P8より)

私は恥ずかしながら「本になる前の原稿を読んで、ただ誤字脱字をチェックする人」というだけの認識でした。

しかし、この本を読んで一変する。

「校正者」の仕事は奥深い。誤字脱字のチェックなんてそんなもんじゃない。大げさじゃないくらい穴が開くくらい「読む」お仕事です。

『文にあたる』の感想

資格試験の勉強をしているとき、その参考書に誤字があった。

もっと言うと、参考書の表の全部が白紙だったページもある。出版社のサイトの正誤表で確認して、正しいものが分かった。ムカついた。

だって、この本を完全に信じて私は勉強している。有名な予備校もタイアップしてるような本。誤字はまだしも、表が全部白紙って、これでなぜGO出したのを不思議に思う。本番の試験をこのせいで間違えたら、致命傷である。

ハチコは激怒した。(←メロスは激怒した、のテンションで言う)うそうそ、そんな激怒してない。ただ参考書をぶん投げてやろうかと思ったくらいだよ✌️←

…と、ツイッターもブログも誤字だらけの私がドヤってこんなことを言う(笑)

しかし、どんなに間違いがないように確認しても、熟練の校正者だろうがミスするときはミスすると言うのもこの本を読んで知った。そして、ミスしてしまったら校正者の方は何年も引きずるというのも知る。プロ意識の塊や。

校正者のお仕事の方なら、世の中のいろいろなことに熟知しているのだろうと思っていたのだけど、そんなことはないと牟田さんはのたまう。(実際には牟田さんは相当の知識と経験があるのだろうと推測できるのだけど、おごりたかぶらず、どこまでも謙虚な人。)

私はすごく好感を待った。

牟田さんの書く文章はあたたかく、やさしい。この人の書く文章、素直で好きだな。

最初に「この果物は何と書きますか?」と私は書いたけど、実際の本文は、かぼちゃ(その他の書き方だと、南瓜、カボチャ)が例に書いてあって、同じかぼちゃの料理レシピでも、表記によって受ける印象が違う。

もし、例え間違った表記だとしても、それが作者の意図だとしたら、安易に校正するのも躊躇するそうな。校正者は間違いを正しくするだけじゃない。作者の意図を汲み取ること。これはAIにはできない仕事だ。

p193 の『疑う力』がとてもよいので、最後にこれだけ紹介させてほしい。

「パンダの尻尾は白いんですよ」と聞いて、牟田さんは、あれそうだったっけ?と疑問に思った。はたして本当にそうなのか、とことん調べる。webで調べることはもちろんのこと、辞書を引く、動物園に行く、図書館に行く、ありとあらゆる手段を使って「疑い、調べる」

最初にwebで調べたとき、解答が出たとしても、それが正しい情報なのか、疑う。

校正の技術として「調べる力」があるならば、さらに求められるのは「疑う力」であると言えます。(p199より引用)

文章って書く人はむろん、校正者も、疑い調べることの大切さ。

あーー、ただ書くだけじゃないのかーー疑って調べるんかーーーそれは私に抜けてる要チェック項目やーー!

一冊の本を作り上げるのに、ものすごい熱量があるんだなと思うと、頭が下がる。

「文章」の仕事というと、「文章を書く人」を思い浮かべがちだけど、実際には校正者がいて、本になるとしたら、出版社もあって、本屋さんもあって、そう考えると私の今、手元にある本たちをでずにはいられない。

本もだけど、音楽も映画も、縁の下の力持ちの存在って大きいんだろうな。

文章を読んでるとき、分からない単語があると、雰囲気で読んじゃうのが私の悪い癖だけど(流し読みしちゃうのも時には必要であるが)辞書とお友達になって言葉を丁寧に扱う人になりたいなと思った。

ところで私の今まで書いた文章、誤字脱字その他モロモロ何かありましたでしょうか?

よろしければ校正を…ううん、やっぱり、教えてくれなくていい……。

だってめちゃくちゃ五児脱自ありそうだ門!

…さっそく間違ってるって?

それは作者の意図的な…(特に意味はなし)

コメント

タイトルとURLをコピーしました